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白馬でスキーレッスンを受講しました

2025.04.06 Nahoko

Nahokoです。

先日の Yasuの記事に書いてあった通り、3月に白馬岩岳スキー場にて15年ぶりにスキーレッスンを受講してきました。

結論を先に書いてしまうと、レッスンを受けて本当に良かったです!

たった2時間のレッスンで、自分が抱いていた「スキー」に対する世界観がガラッと変わりました。

「スキーとはこんなにシンプルで楽しいものだったのか」と再発見し、目から鱗が落ちました。

岩岳スキースクールのS先生が、終始優しい口調で語りかけてくれる言葉は、理屈っぽい私の心にストレートに響きまして、ふと気づいたら私が子供の頃に感じていた「滑るって楽しい!」という気持ちの原風景がよみがえっておりました。

ここ数年は白馬に行く機会がなかったのですが、来年もぜひ岩岳を再訪してS先生のレッスンを受講したいと思っています。

スキーにまつわる話は過去のブログで度々書いていたかもしれませんが、今回レッスン受講に至った背景を含めて、改めて私にとっての「スキー」について書いてみたいと思います。

 

私のスキー歴

私の人生初すべりは9歳のときで、母の職場である高校の先生たちのスキー旅行に同行したのが始まりです。

親切な先生が面倒を見てくれて、板を装着してすぐにリフトでどんどん上に上がり、とりあえず下りてみろ!という感じでした。

私は東北のアイススケートが盛んな街で育ったので、幼少期からフィギュアスケートは冬季の遊びの定番でしたし、雪の日には近所の広場や学校の校庭にどっさり積もるので、そりやらミニスキーやらで滑るのが日常でした。

そのため、「滑る」ということ自体には最初からそれほど恐怖心がなかったかもしれません。

スリルがあって楽しい!気分爽快なのでまた行きたい!とそれだけの気持ちで、母に連れられて度々スキーに行くようになりました。

近場の村営スキー場がメイン、その他岩手県内の有名スキー場などにも度々行きまして、昼間だけでなくナイターで滑るのも楽しかったし、そういえば昭和から平成に変わった日も家族でスキー場にいたなーとか、受験期の息抜きもスキーに行ってたっけ(「滑る」が禁句じゃなかったんでしょうね)、とかいろいろ思い出されます。

こうしてみるとスキーが結構好きだったんだろうなー、と思います。

 

スキーの技術って何なのか、全く知らなかった

スキー場に行くと、現地の小学生が楽しげに「わー!」と一気に滑り下りて行く光景を目にしますよね。

フォームとか滑り方とかを一切気にすることなくただ滑って行くという、あれがまさに私にとってのスキーでした。

全く技術を習ったことがなく、スキースクールに入ったこともなく、海和さん(!)の映像を見てかっこいいなーとまねしてみたりする程度で、ただ自己流で滑っておりました。

子供だったのでスピードを出すのが楽しくて、止まる技術がないから斜面に頭から突っ込んでしまって額を切ったり、ゲレンデの端っこの崖に滑り落ちてしまい「これってどうやって上がるんだろう」とひとりで途方に暮れたり、それなりに恐怖体験もありました。

そんなスリルも含めてスキーは楽しい趣味だったのですが、進学や東京への引っ越しなどもあって、高校生以降は完全にスキーから遠ざかりました。

30代になってYasuと結婚したとき、Yasuからスキーが趣味だと聞いて、「えー、私も子供の頃からスキーやってましたよ~」みたいな感じでおそらく気軽に答えてしまったような気がします。

検定で一級を取っている夫と、雪国の「現地小学生」並みのスキーしかやったことがない私がそれぞれイメージする「スキー」という世界は、それこそ天と地ほどもかけ離れているわけで…

初めて夫婦で一緒に滑った際、Yasuは私の滑りを見て大変に驚いたのだろうと思います。

ゲレンデで、遠慮がちなトーンでこんな質問を投げかけてきました。

「ねえ… エッジって、知ってる…?」

何でそんなことを訊くんだ!エッジぐらい知ってるよ!「板のへり」のことでしょ!とその場で憤慨した私ですが、もちろんそういう言葉の定義の話ではなく、つまり私の滑りはエッジを使おうという意識が皆無だったということ。

とにかくただワーッと滑って、無理矢理身体で曲がってなんとか止まるという野生児のようだったらしく、そりゃあ検定一級の人からしてみればさぞかしびっくりだったことでしょう。

 

大人になったらスキーの世界が変わっていた

Yasuは毎週のように白馬に通いまくっている人だったので一緒に行くようになったものの、長いブランクを経て、私にとってのスキーは子供の頃とは全く違うものになってしまっていました。

大人になるとスリルを楽しむ心は失われていて、怪我しないかとか落ちたら死ぬんじゃないかとかいう恐怖心が先に立ちます。

おまけに長らく運動不足な人生を送っていたので筋力も体力も全くないし、元々私は運動センスがあまり良くないのもあって、身体操作は下手くその極みです。

夫がお気に入りの八方尾根はコースが多彩ではありますが、私のために夫が初心者向けの咲花というコースにとどまってくれるはずもなく、次はあっち!こっち!と移動しまくり、スカイラインやリーゼンを軽快に滑っていく夫の後ろから半分涙目でついていく状態でした。

足は頻繁につる、全身は疲労困憊、恐怖で身体がすくむ上に、八方尾根のコースは時間帯によっては不整地も多く、曲がれない止まれないスピードを制御できないの三重苦。

八方尾根の自然環境はなかなかワイルドで、吹雪や大量の新雪に対応できずに一歩も動けなくなり、このままここで身動きできないと凍死するかも、と一瞬覚悟を決めたこともありました。(夫が救出しに来てくれましたが、雪山は本当になめたらいかん…)

怖い!無理!もう疲れた!と訴えてみるも容赦なくあちこち連れて行かれるし、夫は小回りが大得意で不整地ほど生き生きと輝くタイプの人なので、しょっちゅう取り残されてしまう私はゲレンデで何度もメンタル崩壊の事態となり、当然夫婦喧嘩もしました。

2泊や3泊のスキー旅行は心身ともになかなか苦行ですから、自分だけ午後から半日券にしてあとから夫と合流したりするのですが、「わざわざ白馬まで来て半日休むなんて」とか「朝の気持ちいい時間に滑らないなんてもったいない」などと言われてしまいます。

本当はホテルでぬくぬく温泉に入って暖房の効いた部屋でずっとマンガを読んでいたいのに!(心の叫び)

スキーは嫌いじゃないけれど、夫とレベルが違いすぎるのが悲しいし、共通の趣味ですと胸を張って言いにくいのも悔しいし、せめて一緒に遊べる程度の技術を習得しなければと常に焦っていました。

 

しかし、自分の身体がうまく使えない

Yasuが親切に滑り方の技術や練習ドリルをいろいろと教えてくれるのですが、私が直面していた問題は「言われていることを実現するために身体をどう使ったらよいのかがわからない」ということでした。

よく「板の前に乗れ」と言われるものの、板の前に乗ろうとするとどうしても足首前側と脛が痛くなってしまってサポーターとテーピングが欠かせなくなり、スキー旅行から戻る度に治療院に駆け込んでいたほど。

運動指導に携わっている現在の私なら、なぜ板の前に乗ろうとして足首や脛が痛くなったのかという原因は容易に推測できるし、何を改善して何を鍛えておけばよいのか、様々なトレーニングをすぐに提案することができます。

荷重や重心移動といった身体感覚の足りなさをはじめ、下半身の関節動作が適切に行われていない、スクワットのような基礎動作を理解していない、体幹から上肢・下肢の連携や連動がスムーズでない、などなど。

そのころの私は、スキーの技術を実践するための「身体のベース」というものが全くなかったのです。

言われたことができない・わからないの連続で、一体何をどうしたらいいのか!?と悩むわけですが、私たち夫婦が運動指導の道に入る前でしたから、既に習得した技術が身体感覚に置き換わってしまっている夫には言語化しにくいことも多かったようです。

 

私が何を教えてほしかったのか:「WHAT」と「HOW」の違い

じゃあプロから習ってみようかと八方尾根でスキースクールに入ったのが、おそらく15年前くらいのこと。

しかし結果は同じで、スキーの先生(しかも若い男子)の指導は「板の前に乗ってくださいね~」「もっと上半身から倒してね~」といった指示が多く、私の根本的な疑問は解決していきません。

板の前に乗れと言われてすぐ乗れるんだったらとっくにやってるわい!とイライラし、たとえば身体のパーツをどう使うか、身体のどこにどんな感覚を探したらよいのかなど、「どうしたら板の前に乗れるのか」を教えてほしかったのです。

スキーの先生はスキーの技術は教えてくれるけれど、「足裏感覚の作り方」や「正しいスクワット姿勢」などについて教えてくれるわけではないんですよね。

当時はそれを理解していなかったので、スクールのレッスンに対する苦手意識が勝ってしまい、以来スクールに入るのはやめました。

余談ですが、このときに感じた不満が、現在の私の仕事において「運動が不得意な人にもわかりやすく身体の何をどう使ったらよいのか教えたい」という気持ちの原点になっているので、どんな経験も全く無駄ではないということですね!

運動指導では「WHAT」(何をしろ)という指示を与えてしまいがちですが、まず「HOW」(そのためにどうするか)から教えていかなくてはいけない。

いかにわかりやすく、ひとりひとりに合わせた「HOW」を伝えていくか、毎日地味な研究と試行錯誤を重ねながら仕事をしております。

 

ピラティスでスキーの技術向上ができるのか

その後は夫婦でピラティスを始め、指導者にもなり、自分の身体を鍛えつつ人にも教えることを続けながら毎年スキーを続けておりました。

ピラティスを学び身体について知るうちに自分でも考えながら練習できるようになり、Yasu先生の説明力も当然飛躍的に向上(!)していてわかりやすくなり、身体の土台ができてくるのとお互いの説明力・理解力が合致してきたことで、私のスキー技術も徐々に進歩してきたようです。

昔よりは恐怖心もなくなってきて飛躍的に楽しめるようになってきたのですが、あれこれ工夫して練習を頑張っているのにもかかわらず、今ひとつ上達しきれないような不満がありました。

Yasuの滑りを見ていると動き方の差はやはり歴然としていて、ここ数年は「自分のスキーの動作感覚には決定的に何か欠けている部分があるんじゃないか」という疑問も感じておりました。

近年、ゴルフを始めたことでスポーツ動作を学ぶ必要性を感じ、定期的にパーソナルトレーニングも受けるようになりまして(その辺の詳しい話はまた次の機会に)、自分の欠点・弱点の正体がだんだんわかってきました。

私はスポーツ経験が乏しい一方でピラティスは長年しみついてしまっているため、スポーツにおいても動きを一定に制御しすぎる・作りこみすぎるクセがあるのです。

静止映像で見るとフォームは悪くないと褒められるのですが、一連の動作として見ると「効率的なスポーツ動作」になっていない。

また、私は身体特性として「結合組織が柔らかい」ので、関節を安定させることが苦手で、無意識に身体の柔らかさに頼った動かし方をしてしまいます。(※これは女性に多いタイプですが、男性でも当てはまる方はいます)

夫と同じ動きを行っても、「結合組織が硬い」タイプの夫の身体が「自然に止まる」位置で私の身体は止まってくれません。

これらの「問題」についてゴルフレッスンやパーソナルトレーニングで改善策を模索するうちに、スキーにおいても何か変えられる可能性があるんじゃないか?と思ったので、今季は15年ぶりにスクールを受けてみることにしたのでした。

もうアラフィフの更年期世代でもあり、「女性ならではの弱さも身体特性も丸ごとわかっていただいた上で教えてもらえないかな…」というぜいたくな希望のもとに、今回はあえて女性の先生にお願いすることにしました。

 

「楽しさ」を思い出させてもらったレッスン

久々の白馬に到着し、当日の岩岳は早朝からの雪が降り続いていて、OPENから間もない時間なのにゲレンデは新雪でどんどんモフモフになっておりました。

パウダー苦手なんだよなーと思いながら、レッスン前にゴンドラで上がってまず下まで1回滑ってみましたが、嫌な予感は的中。

雪を押さえつけようとして変な力が入ってしまうので、思うように滑れず太ももの疲労ばかりが蓄積します。

大いに不安を感じつつレッスンの時間になりましたが、お会いした先生がとても優しそうな女性だったのでかなりホッとした私。

今回は夫と二人で受講し、実際教わるのは私、夫は「嫁が何を教わっているかを知りたい」というオブザーバー的な参加でした。

まずは滑りを見てもらうところからレッスンがスタート。

1本か2本滑ってアドバイスをもらううち、「Nahokoさんは何が特にできていないというわけじゃないし、いろいろたくさん考えて頑張って滑っているんですね」と言われました。

「でもね、多分一生懸命考えすぎなんですよ。スキーってそんなに考えなくていいの」

という先生のひとことに、いきなり核心を突かれて驚きました。

仕事柄、つい考えて意識して動いちゃうんです!

どの筋肉がどうとか、この幅がどうとかこのタイミングでこう入ってとかもう頭が常にいっぱいで、少しでも気を抜いたら崩れるし失敗するし、頑張って何度も反復しているのに身体が覚えないし、斜面のコンディションを見て即座に対応する判断が遅くてリアクションが遅れがちになるのも苦しいし…

リフトに乗るたびに胸の中にたまっていたものを吐き出していましたが、先生が「わかるわかる、私もそうだった~」と全部共感して聞いてくれるので、最初から心強かったです。

そして、降り続く雪の中で先生が提案してくれたのは、

「ゲレンデの端の新雪の山に突っ込んでみましょう」

という練習でした。

子供がスキーしていると、意味なくはじっこの雪の積もったところに突っ込んでいって、山に上がったら自然にターンして戻ってきたりするでしょ?ここで板をどうしようとか何も考えなくていいから、ただ突っ込んでただ戻ってきてね!

そう言われて「ただ突っ込んで斜面なりに回って下りてくる」を繰り返していたら、不思議と力が抜けて無心になっている自分がいました。

あ、上がった、下りた、ただそれだけなのに、すごく楽しい!

徐々にアドバイスが追加されて、外の脚を遠くにのばーしてから内側を寄せて~とか、回ったタイミングで脚に胸から近づいて~などと無心で実践しているうちに、ついさっきまで苦手だったはずの環境がとても気持ちよく感じられるようになりました。

いつしかほぼ小回りで滑れていたり、コブだらけの上に新雪が積もったところを難なく下りていたり、これはいったい何の魔法なんだろうか?とまるで夢を見ているような気持ちに。

滑るってなんて楽しいんだ!

雪が降り続けて視界は悪いし鼻水もズルズルなのに、なんだかものすごくワクワクしてきました!と先生に言ったら、「力が抜けて本当に楽しそうに滑ってますよ!」とのコメント。

そうか、私は雪を制御しようとしていたのか…

「ボールは友達」というキャプテン翼のセリフじゃないけれど、「雪は立ち向かう敵じゃなくてそこにいる友達だったんだ」という子供の頃の感覚が戻ってきたのを感じました。

 

「考えすぎていた」自分に気づく

「Nahokoさんはせっかく幼少期にスキー経験があるんだから、大人から始めた人よりも滑ることそのものの楽しさを原始的な感覚の部分で知っているはずで、それを思い出させてあげたいなーと思って。

技術とか知識をたくさん持っているのも素晴らしいことだけど、頭がガチガチになった大人には純粋に楽しむ気持ちを思い出すことが必要なんです。

雪とケンカしないで、押し付けようとか制御しようとかしないで、ただ雪と仲良くなればいいんですよ。

そしたらスキーって、もっともっと楽しいですよね」

という先生の言葉に胸がいっぱいになった私は、リフトでちょっと泣きました。

おまけに、

「今の気づきを言葉に置き換えて今度仕事のときに活用しよう~、なんて考えてませんか?それも全部忘れてね~」

この先生、鋭い!全部ばれてる… という驚きもありました。

「そうやってなんでもこれは学びだと思わないで、たまには自分だけのために楽しむっていう感覚も大事なんですよ!」と言われ、これまた日頃の私に欠けている要素だったので、妙に嬉しかったり。

まっすぐ心に届く言葉をたくさんいただき、感動ばかりの2時間のレッスンでした。

S先生には心の底から感謝していますし、来年もぜひぜひお会いしたい!と思っております。

今まで全く使われなかった筋肉を使ったらしく、宿に戻ったら近年経験したこともないレベルの全身筋肉痛で歩けなくなりました。

 

そして、やっぱり夫はスキーがうまかった

翌日は八方尾根に行きまして、昔は大の苦手だったリーゼンが苦もなく滑れていたり、スカイラインがちっとも怖くなかったりで、我ながらびっくり。

「結構滑れるのかも、自分」と思い、「これで練習続けたらもうちょっとうまくなれるかも」と新たな希望が生まれていたわけですが、前日の岩岳に引き続き久々の八方尾根に来た夫はさらに生き生きと輝いていて、本当に楽しそうに滑っていました。

レッスン中にオブザーバーの夫が後ろから滑り降りてくるのを先生と眺めながら、「ほら、一級の人はいろいろ自然にできているでしょー!ご主人は言葉にしなくても感覚がちゃんとわかっているのねー!」と、先生。

一級レベルってこういうことだったのか、と今更のように夫のうまさに感心してしまいました。

どんな雪面でも同じクオリティで滑っているように見えるのが、私から見た夫の滑りの不思議なところです。

そういう技術がちゃんとあるのに楽しむ感覚も両立しているんだから、すごいことですよね。

 

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来季の目標は、スキーをもっと楽しもう!で行こうかなと思います。

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